FREPPIESの名前のゆらいと込めた思い

girl, woman, joy of life

『FREPPIES』は、2020年、5月7日に誕生しました。

クリエイティブ・ディレクター

YAKKO

『FREPPIES』は私の理想の未来です。

いろんな想い、私の哲学、理念がつまっています。

FREPPIESに興味をお持ちのあなたへ、

FREPPIESの名前のゆらいについて、お話ししようと思います。

高校は厳しい校則で有名な、明治30年創立の私立の女子高に通い、私が育った家庭も、厳しいルールがありました。

高校はアルバイト禁止、学校帰りに友達とカフェに寄ったりするのも禁止(見つかったら停学)、髪はショートカット禁止、髪が肩についたら三つ編み、という明治時代の校則をそのまま変えずに守っている、古風な学校でした。

そして、私の父も昭和9年うまれの国家公務員。

大学までストレートの高校でしたが、
規則、規則の校風に息苦しさを感じ、
担任の先生に「お前の成績だと、他大受験は危険だからやめておけ」
と懇願されましたが、男女共学の都内の大学へ進学しました。

これでやっと解放される! 自由だ!

となるはずだったのですが、
絶対君主的な父が門限をつくり、大学生でも「夜11時」に帰ってこなくてはいけない、1分でも過ぎると…

という環境で育ちました。

その他にも、親が勝手に決めた理不尽なルールが多い家庭環境でした。
母親もまた、病的な過干渉な人でした。(後で本当に病気と判明しました。)

当然、恋愛にも目を光らせられていて、暗黙の禁止。

私にとって、家庭というのは休まるところではなく、
ストレスや不満、怒りを貯め込む場所。

一人暮らしをしたい、と言っても当然反対、
アルバイトをしながら生活費と家賃を稼ぐのは物理的に厳しく、
自暴自棄になっていた10代でした。

逃げたい。

自由になりたい。

そればかり考えていました。

心理学を学んで、後から知ったことですが、
父母の過干渉や支配は、彼らの育った環境に起因していて
自分たちのエゴや安心感を得るために支配してしまうらしいです。

なんだ、やっぱり私は間違ってなかったんだ。

大人になって、私が欲していた「自由」は、
当時の私が生き延びるために必要な「願望や夢」だったのだと知りました。

私にとって自由は、息を吸うくらい当たり前に必要なものなのです。

アメリカで「自由と尊厳」を知ってしまった

大学2年のとき、アメリカのワシントン州にある大学へ、半年間の短期留学に行くチャンスがめぐってきました。

あまりにも親からの干渉が激しかったので、
アメリカ留学なんて絶対させてくれないだろう、と諦めていましたが
資金の足しを自分でアルバイトで稼ぐことを条件に行くことができました。

留学させてくれた父には、今、とても感謝しています。

生まれて初めて、ルールだらけの家庭から出て、
成田空港の国際的な雰囲気、英語が飛び交うアナウンス、初めて座る飛行機のシート、機内食。

すべてが新鮮で、冒険で、心からワクワクしました。

アメリカでの留学生活

初めて降り立った、シアトルのシータック空港は、
まったく日本とは別の世界でした。

空の明るさ、空港の「アメリカの匂い」。

私に人生に何かが起こる。

そんな期待感で胸がいっぱいになりました。

私は親の監視から離れ、水を得た魚のように毎日色々なことを吸収していきました。

大学での講義も最高に知的好奇心を刺激してくれたし、
自分の考えや意見を言い、そして言える人が賞賛されるという社会が
私にとって自由そのものでした。

そして、同じ寮に住むアメリカ人の男の子と恋をし、
彼の両親や友人、ルームメートと接しているうちに、
「好きな場所で、好きな人と暮らしたい」

そういう想いが強くなっていきました。

アメリカ人の彼と、本気で結婚を考える

帰国の日が近づいてきて、私も彼もこのままずっと一緒にいられる方法を真剣に考え始めました。

ですが、彼も私も貧乏大学生。

しかも、私の親は強烈な過干渉。

彼は優秀な人だったので返済不要の奨学金を得ていましたが、大学の寮費や食費などの生活費はアルバイトして工面し、やっと。

私も、大学卒業まであと2年を残していたし、
日本の大学を退学して、学歴がない状態でアメリカに行っても仕事を見つける自信がありませんでした。

彼はわたしよりも2つ年下だったので、
彼が卒業するまで、英語もスキルも、働いた経験もない私がアメリカで働いてサポートする、ということは不可能だと感じていました。

当時、スカイプなんてないし、国際電話で1時間話して月に5万円の請求がくる時代でしたから、現代の国際結婚事情とは、ハードルの高さが全然違ったような気がします。

トレーラーハウスを安く買って暮らそうかとか
あれこれ真剣に毎日考えていましたが、
私の結論は、「5年日本で働いてスキルや経験、お金を貯め、それから結婚しよう」ということでした。

帰国してから初めての夏、
彼に会いに行ってそのことを伝えましたが、
私が帰国して突然静かになってしまった部屋で一人残された日々は
想像以上に辛く淋しかったらしく、
5年なんて待てない、とウツのような症状になってしまったのです。

両親に意を決して
アメリカ人の彼と結婚したいと伝えると
「男にうつつを抜かすために留学したのか! そんなことに学費を出した覚えはない! 結婚するなら二度と家の敷居をまたぐな! 縁を切れ!」

とまで言われてしまったのです。

今の私なら「はいはい、そうですか。ではさようなら」

と言えますが、

当時はみんなに祝福されて結婚したい。
日本や親を捨てアメリカに行く覚悟なら、簡単に結婚に失敗して出戻る、なんてことはしたくない。
何かあっても最低限なんとかなるというお金が欲しい。

日本を捨ててアメリカに行く、というほどの気持ちでいる私の重みは
大陸で育った彼には理解できるものではなく
喧嘩が増え、結果的に別れてしまいました。

私の人生で、大きな岐路があったとしたら、きっとこの時だったと思います。

彼と別れたことも辛かったですが、
それ以上に堪えたのは、私を心から解放してくれたアメリカという国で暮らすことができない現実でした。

もし、あのとき、私にスキルと経済力があったら
目の前に現れた人生を変えるチャンスを失わずに済んだのに。

もし、時間と場所にとらわれず、収入を得られるスキルがあったら・・・

これが、私のFREPPIESを作った原点です。

大学卒業後は、肩書や企業のネームバリューではなく「時間と場所にとらわれない働き方ができるスキル」を意識してキャリアを積みました。

「スキルと経済力を身につけて、自分の意志で人生を選ぶことができる人たちを増やしたい。」

それが私のFREPPIESに込めた強い思いです。

たとえば、

学生の頃は、自分の将来を夢みて難しい大学受験というハードルも超えて頑張ってきたのに、結婚して家庭を持ったら当然のように専業主婦になった友人たち。

それが「幸せのカタチ」と納得したはずなのに、
心の奥に、「本当は叶えたかった夢」「ときどき沸き起こる情熱」をむりやり押し込み蓋をする。

勇気を持って夫に伝えてみても

「生活の現実」を盾に「母親だろ?」とか「お前にできっこない」と言われたり。

案外、自分の身近に、ドリームキラーがいたりするんです。

でももし、スキルと経済力があるなら

そんな反対や決めつけを跳ねのける強さが持てるんじゃないか。

大切な人と一緒に「たくさんの選択肢」を持てるんじゃないか。

そう思ったのです。

PREPPY

PREPPY(プレッピー)とは、「プレップ・スクール(ハーバード大学に入るための予備校のようなところ)に通うような、裕福なお坊ちゃま」を愛情と皮肉を込めて呼んだ、アメリカのスラングです。

私が中学2年生のときに読んだ小説「ある愛の詩(エリック・シーガル著)」の中で、ハーバード法科大学院に通う弁護士をめざす主人公のオリバーに、

イタリア移民で貧しい家柄の、ハーバードの隣にあるラドクリフ女子大に通うジェニーが「プレッピー」と呼びかけるシーンがありました。

この小説は、1970年代に映画化され、世界中の大ヒットになったので、ご存知の方も多いと思います。

長い髪のかわいいジェニーに一目惚れしてデートに誘うオリバーに、

「プレップスクールに通うようなお坊ちゃまに興味はないわ」

という素っ気ない態度で「プレッピー」と言い放つのですが、作家エリック・シーガルが描く二人の会話はお洒落でユーモアたっぷりで、「プレッピー」という言葉には、皮肉もたっぷり込められているものの、憧れや羨望、愛情も感じられました。

最初はベイビーステップから初めてもいい。

でも、見ている視線の先は、プレッピーに仲間入りできるほどの経済力を持つ世界。

経済的に豊かな人たちを「対岸の人」と指さすのではなく、

自分が対岸へ渡っていく。そんな決意と強さと、ユーモアを持った人たち。

そんなFREEDOME(自由)とPREPPY(経済力を持った人)という二つの言葉を掛け合わせ、FREPPIESとしました。

複数形にしたのは、そんな理念や想いに賛同した人が、ひとり、またひとりと増えていき、同じ価値観の仲間が増えていったらいいな、という想いからです。

こんにちは!

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YAKO FREPPIES
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